びじゅチューン!『ひとよだけ巡査』の元ネタ『ひとよ茸ランプ』を解説

びじゅチューン!『ひとよだけ巡査』の元ネタ・モデルの『ひとよ茸ランプ』を解説・解説

みなさんこんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。

今回はびじゅチューン!『ヒトヨダケ巡査』のモデル『ひとよ茸ランプ』を紹介したいと思います。

それではよろしくお願いします。

『ひとよ茸ランプ』の概要

タイトルひとよ茸ランプ(ヒトヨダケランプ)
作者エミール・ガレ
制作年20世紀(1902年頃)
材料/技法ガラス・ランプ
寸法横約31cm×縦約84㎝
所蔵北澤美術館

ランプのモチーフ

この作品のモチーフはヒトヨタケと呼ばれるキノコです。

ヒトヨタケは成熟するとキノコのカサから黒い液体を出しながら、一夜にしてカサが消えてなくなります。これがヒトヨタケの名前の由来です。

この一晩で消えてしまうキノコをランプとして表現できたのは、「自然の蒐集家(しゅうしゅうか)」と言われる彼の洞察力だからこそでしょう。

ではこの作品の作家はどんな人なのでしょうか。

エミール・ガレ

『ひとよ茸ランプ』の作者であるエミール・ガレはフランスの工芸家、家具、陶器を手掛けるマルチクリエイターです。

彼の父親チャールズ・ガレはガラス製品や陶器を取り扱う商人でした。その助手としてエミール・ガレは学校に通いながら働いていました。

父親チャールズ・ガレが取り扱っていた陶器「ファイアンス焼き」

学校では、哲学と自然科学を学んでいました。特に植物は有名な植物学者に師事し、エミール・ガレ自身も植物学者になりました。

彼は遠くイタリアやスイスの植物を収集し研究。さらにデッサンと絵画を学び、後のデザインの着想源にもなる植物や花、動物、昆虫の作品を描きました。

学校を卒業してもまだその研究心は収まらず、ドイツへ行き、哲学、植物学、彫刻、デッサンの研究をつづけました。

そして本格的に父親の手伝いをしようとしたガレは、とあるフランスのガラス工場で見習いとして働き、ガラス製造の研究をしました。

その後普仏戦争が勃発し、ガレ自身も参加、ガラス研究や製造を一時中断します。

終戦後、ガレはロンドンへ行き、ルーブル美術館、クリュニー美術館へと赴きます。古代エジプト美術、ローマガラス製品、陶磁器、イスラムのエナメルガラスは後の彼の作品に大きな影響を持ちました。

その後、父親の事業を引き継ぎ、さらにはガラス製品や陶磁器の製造をする会社のトップデザイナー兼経営者となります。

研究の集大成として展覧したガラス製品はありとあらゆる賞を受賞。世界的にも評価されるようになりました。

パリ万博にも出品しています。

1904年白血病により58年の生涯を閉じました。

ヴィクトール・プルーヴェ

彼の死後、画家のヴィクトール・プルーヴェとその夫人が引き継ぎます。

1914年ー18年の第一次世界大戦で一時的に製造は中止し、その後はガレの娘婿によって経営は続きました。

1931年に会社は倒産し、土地や建物は売却されました。

建物や土地はなくしたものの、ガレ行った自然をありのままに表現することは、アールヌーボーと言う美術流行の先駆的存在であり、美術史に大きな影響を与えました。

まとめ

ひとよ茸ランプは彼の作品や作風を代表する一つとして今でも残り続けています。

彼の自然を愛し、観察する力はひとよだけではなく、いつまでも残り続けることでしょう。

最後までご覧いただきありがとうございます。

他にもびじゅチューン!の元ネタ(モデル)を解説していますので、ぜひそちらもご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です