こんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。今回はびじゅチューン!の「落穂拾子」の元ネタ(モデル)となった「落穂拾い」を紹介します。
この作品に描かれている人たちは一体何をしているのか。それらを含めて紹介していこうと思います。
それではよろしくお願いします。
『落穂拾い』の概要
タイトル | 落穂拾い(おちぼひろい) |
作者 | ジャン=フランソワ・ミレー |
制作年 | 1857年 |
材料/技法 | カンヴァスに油彩 |
寸法 | 83.5 cm × 110 cm |
所蔵 | 興福寺・国宝館 |
『落穂拾い』はフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって1857年に描かれました。現在はオルセー美術館に所蔵されています。
そんな落穂拾いですがいったい何が描かれているのでしょうか。
画題
主題となるのは三人の貧しい女性の農民。彼女たちは刈り入れが終わった畑で、取り残った稲穂を拾っています。
彼女らが貧しいとわかるのは、落穂拾いをするのは貧しいものがするように習慣化されていたからです。これは旧約聖書にも
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。
『旧約聖書』レビ記
と書かれており、ルールとして定められています。
また、背後に描かれている風景は現実にある場所で、フォンティーヌブローの森のはずれにあるシャイイのの農場と言われています。
このように農民の素朴な活動を描いたものを「農民画」と呼ばれています。
実はこの『落穂拾い』にはほとんど同じ構図のものが存在しています。
『落穂拾い』の元ネタ
連作の1つとして
有名な『落穂拾い』は1857年に描かれたものですが、1853年にも『落穂拾い、夏』として同じような描かれていました。
この作品は農民の生活の四季を表現したとされる連作のうちの「夏」を表現したものです。
これに対応するのは『葡萄畑にて、春』や
秋を描いた『りんごの収穫、秋』
冬を描いた『薪集めの女たち、冬』とされています。
加えて『落穂拾い』が描かれる前に、チョークやクレヨンで描かれた数々の『落穂拾い』とほとんど同じ構図があることから、ミレーが好きな構図であったことが分かります。
では、ミレーっていったいどんな人なんでしょう。少し彼を紹介したいと思います。
ジャン=フランソワ・ミレーについて
ジャン=フランソワ・ミレーは農民を描くことで有名な画家です。
もともとフランス・パリに住んでいましたが、1849年にコレラが流行、さらにルイナポレオン大統領のローマ侵攻に対する暴動によって、彼は家族と共にバルビゾンへ移住しました。
そこで彼は農民の素朴な活動や自然の素晴らしさ、崇高さを描き、バルビゾン派の代表的な画家となりました。
【バルビゾン派】
フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。
Wikipedia「バルビゾン派」より引用
まとめ
ミレーの描いた農民画・風景画は彼が愛した農民や自然を生き生きと、あるいは崇高な存在として描きました。
『落穂拾い』は彼の生き方や思想を物語っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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