みなさんこんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。今回はびじゅチューン!『電気さえあれば』のモデル『電気服』を紹介したいと思います。
『電気さえあれば』では他のびじゅチューン!作品で出てくるウサギが主人公ですね。井上涼さんのセンスにはいつも脱帽です。
あの芋虫のような服は一体何なんでしょうか。
それが作られるまでの経緯なども紹介していこうと思います。
それではよろしくお願いします。
『電気さえあれば』の元ネタ(モデル)『電気服』の概要
タイトル | 電気服 (でんきふく) |
作者 | 田中敦子 (たなかあつこ) |
制作年 | 1956年 |
材料/技法 | 蛍光灯・電球・コード |
寸法 | 不詳 |
所蔵 | 高松市美術館 |
これは1956年に制作された作品です。約200個の蛍光灯や電球(100個の蛍光灯、80個の電球やその他コードなど)を使用しており、まさに『電気服』と言える作品です。
それぞれの管は色が塗られており、光るたびに様々な色彩を生み出します。電気を通すと不規則な点滅を繰り返します。
田中敦子とは
田中敦子(たなかあつこ)は1932年に大阪府生まれです。
日本の国内外でも草間彌生や、オノヨーコと並ぶ偉才と言われています。
もっとも有名な作品は『電気服』ですが、他にも様々な作品があります。
例えば、1955年に発表された『ベル』と言う作品があります。
これは約40メートルのコードにベルを並べてそれぞれ鳴り響くという仕組みの作品です。
また、1957年には電気服に使われる蛍光灯や電球、コード、電気や光をテーマにした絵画作品に取り組みます。
彼女の生涯の中心にも位置する『電気服』
この作品は一体どんな拝啓で制作されたのでしょうか。
『電気服』の生まれた背景
前衛芸術家集団の登場
この作品ができる背景には、ある前衛芸術家集団の存在があります。
集団の名前を「具体美術協会」と言います。(1954年に結成された。)
田中敦子はその初期メンバーとして入会します。
具体芸術協会の中心人物吉原 治良(よしはら じろう)は「今までに無いものを創れ」というスローガンによって前衛的な美術作品を作り上げていました。
それに影響を受けたのが『電気服』の作者「田中敦子(たなかあつこ)」です。
田中敦子と『電気服』
彼女が作品『電気服』を発表したのは1956年。
戦後直後、女性が絵を描くこと、さらには電球を身にまとい一体化する作品は相当な衝撃だったと言えるでしょう。
『電気服』の伝えたかったこと
単純に人とは違うことをしたかった。と言う一言で済ませてしまえばそれでいいのですが、ここではもう少し深く掘り下げて『電気服』を紹介します。
都市化の象徴
『電気服』の発送減になったものはネオンライトで照らされた医薬品広告であったと言われています。あのカラフルな電球はそれをより一層強調するためではないでしょうか。
そして、ネオンライトは戦後急速に成長した日本都市化を象徴し『電気服』はそれを表現しているのではないでしょうか。
エネルギーの具体化
彼女が身にまとった電気服は電気と言うエネルギーを目に見える光にします。
それらは点滅を繰り返します。それはまるで生きているようにみえ、血管を流れる血液のようです。
それらから、エネルギーを具体的に表現し、さらには生命を表現しているのではないでしょうか。
まとめ
『電気さえあれば』の元ネタ(モデル)『電気服』は田中敦子の作品であり、それは色を塗られた電球と蛍光灯からできています。
『電気服』は「誰もやったことのないことをやれ」という号令の下、制作されました。
表現したかったことは戦後急成長する日本の都市化、エネルギーを目に見える形にすることです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
他にもびじゅチューンに関する記事を掲載しています。
また、この記事の下ではびじゅチューン!『電気さえあれば』の小ネタ・登場人物を掲載しています。よろしければそちらもご覧ください。
びじゅチューン!『電気さえあれば』の小ネタ・登場人物
登場人物
うさぎ
『電気さえあれば』の主人公であるうさぎです。
ウサギは『電気さえあれば』の他、『エスパーカフェ』のテーブルの座席に座っています。
『民衆を温泉に導く自由の女神』では岩からひょっこり出て可愛いですね。
『鮭ミラーボール』
『貴婦人でごめユニコーン』でウサギが登場していますが、あのウサギは四足歩行のウサギでした。
トゲトゲの会社員
ウサギがカフェで電気を貰っている場面にいます。カフェテーブルの座席にいます。
彼は他にも『ダンス寿司』にも登場しています。
『地元が快楽の園』では恋人として登場していますね。
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