今回はドミニク・アングルについて紹介・解説していこうと思います。
彼のライバルとして争ったある画家とのエピソードはご存知でしょうか。
アングルの生涯や有名な作品、彼のエピソードなどくわしく解説していこうと思います。
それではよろしくお願いします。
ドミニク・アングルってどんな画家?
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/868px-Ingres_Self-portrait-823x1024.jpg)
名前 | ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル |
誕生 | 1780年8月29日 |
死亡 | 1867年1月14日 |
代表作 | 『グランド・オダリスク』 『玉座のナポレオン』 『ド・ブロイ公爵夫人の肖像』 |
活躍した時代・運動 | 新古典主義 |
ドミニク・アングル(ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル)は19世紀のフランスで活躍したモントーバン近郊出身の画家です。
また、アングルは新古典主義の画家と言われています。。
新古典主義ってなに?
新古典主義(ネオクラシズム)とは簡単に言ってしまえば
古代ギリシャ・ローマ芸術・文化を復興しようという運動です。
新古典主義の特徴として、ギリシャ、ローマなどの古典芸術を見本にし、
調和や統一性を重視した荘厳(そうごん:重々しさがあって立派)
な形式美が特徴的です。
新古典主義の始まる前は、ロココ芸術やバロック芸術などの芸術が流行っていました。
参考のため、バロック芸術と、ロココ芸術について少しまとめておきます。
【バロック芸術】
バロック芸術は16世紀末から17世紀初頭に流行った芸術運動。
大胆な明暗対比やダイナミックな動き、凝った装飾などが特徴的。
後年その大げさなまでの表現を
ポルトガル語のbarroco「歪んだ」という意味が
批評家らによって分類されました。
【ロココ芸術】
ロココ芸術はバロックの後に続くように18世紀に流行った芸術運動。
ロココはロカイユ(rocaille)に由来する言葉であり、岩を意味するが、
転じて貝殻を装飾した岩組のことをロカイユ装飾と言うようになった(という説がある)。
貝殻の曲線や植物のような有機的な曲線を多用した作品、装飾が特徴的。
かたくまとめましたが、要するに
とにかく豪華絢爛でハデで装飾がすごい芸術活動が流行っていたわけですね。
しかし、その芸術に反発したのが、新古典主義の芸術家たちでした。
そのようなゴテゴテハデハデなものは表面的で装飾的だ!本当の芸術じゃない!
真の芸術は古代のギリシャやローマの芸術だ!
古典を復活させるんだ!
という主張から、新古典主義が誕生しました。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/rokokotokotenn.jpg)
バロック、ロココへの反抗として新古典主義が誕生したと言えますね。
この新古典主義(新古典派)にはアングルに加えて、
ダヴィットやジェラール、グロなどの画家がこの運動・時代に分類されます。
画家アングルの生涯
そんな新古典主義の画家のひとりアングルですが、
彼は後に[su_highlight background=”#fbf808″]新古典主義の巨匠[/su_highlight]と言われるようになるまで活躍します。
今でこそ、巨匠と言われ高い評価を得ていますが、
彼は40代の前半まであまり高い評価を得ることができませんでした。
いったい彼はどんな人生を歩んだのでしょうか。
誕生
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/taanjo-1024x633.jpg)
アングルは1780年8月29日にモントーバン近郊(フランス南西部)で誕生します。
父親は画家であり、彫刻家であり、装飾美術家であるジョセフ・アングルです。
どちらかというと父親は職人と言った方がよく、
建築物や家具の装飾や看板描き、音楽などを手がけました。
息子であるアングルもマルチな才能を持っていましたので、
父親ゆずりなのでしょうか。
アングルもそんな父親のもとで育ち、絵画や音楽を学びました。
ちなみにですが、アングルは絵画と一緒にバイオリンも習いました。
その後、バイオリン奏者としてバイオリニストの
ニコロ・パガニーニと弦楽四重奏団を結成しました。
彼の肖像画も残しています。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/portrait_of_paganini-730x1024.jpg)
このエピソードからフランスで「アングルのバイオリン」
と言えば、「本格的な趣味」ということわざになったらしいです。
画業
アングルは11歳のとき、フランスの美術アカデミー(今でいうところの美術大学)に入学します。
17歳の時には、新古典主義(新古典派)の巨匠である
ジャック=ルイ・ダヴィットのアトリエに入門します。
21歳になるときにはローマ賞を受賞します。
【ローマ賞】
ローマ賞とは芸術を専攻する学生(今でいう美大生)に対して優秀な学生にフランスが授与した奨学金付きの留学制度です。
この賞を獲得したアングルはフランスの国費でイタリアへ留学しに行きます。
イタリア留学時代
イタリア留学は政治的、経済的な理由で延期されましたが、
1806年、アングル26歳の時にローマのヴィラ・メディチを訪れます。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/RomaVillaMedici-971x1024.jpg)
【ヴィラ・メディチ】
ヴィラ・メディチとはローマにあるメディチ家が建築したヴィラ(複合建築物)のことです。
ざっくり言えばメディチさんが建てたでっかい家だと思ってください。
この時にえがかれた作品は
『スフィンクスの謎を解くオイディプス』
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/820px-IngresOdipusAndSphinx-1-777x1024.jpg)
『浴女』
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/724px-Jean-Auguste-Dominique_Ingres_-_La_Baigneuse_Valpinçon-1-686x1024.jpg)
『ユピテル(ジュピター)とテティス』
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/864px-Júpiter_y_Tetis_por_Dominique_Ingres-820x1024.jpg)
があります。
この油絵作品は留学をした成果を国家に見せるために制作されたもので
描かれたのち、フランスの美術アカデミーに送られました。
この年齢でこのクオリティの絵を描くのは、彼の努力と才能がうかがえます。
イタリア在留時代
留学の期限が過ぎてもアングルは母国フランスへは帰らず、
イタリアで過ごします。
イタリアではマドレーヌ・シャペルという女性と結婚します。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/kekkonnanguru-1024x633.jpg)
1820年まではイタリアのローマで、1824年にはイタリアのフィレンツェで活動しています。
この間にはラファエロやミケランジェロなどの
古典芸術を研究します。
生活のために肖像画も描いていました。
母国フランスにはサロン(日本でいうところの日展)へ出品しています。
この時代の前後に『グランド・オダリスク』と言われる彼の代表作を描きました。
びじゅチューン!と言われるNHKの番組で登場しました。
しかしこの作品は当時は大不評でした。
しかし、これと言った成績も残せず
彼の40代前半までの画業はあまり高く評価されていませんでした。
そんなアングルですが、44歳のとき転機が訪れます。
フランス凱旋
フランスで過ごしているときにある一つの作品で彼が評価されるようになりました。
1824年のサロンに出品された『ルイ13世の誓願』が
サロンで大好評。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/Ingres_-_O_Voto_de_Luis_XIII.jpg)
世間は新古典主義の巨匠ダヴィットの後継者
として迎えられるようになります。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/davitkaraanguru-1024x633.jpg)
そして当時新しい芸術運動であるロマン主義に対抗する
新古典主義の指導者としても厚く迎えられるようになります。
翌年アングルが45歳の時にはレジオンドヌール勲章を受け、
アカデミーの会員にも推薦されます。
再びイタリアへ
1834年には再びイタリアのローマを訪れ、フランス・アカデミーの院長を務めます。
順風満帆のキャリアを築いてきていますね。
7年後に再びパリにもどるとアングルはフランスでもフランスを代表する巨匠としての評価が高く
1,855年のパリ万国博覧会でアングルの大回顧展が開かれるなど、
生きているうちに高い評価を得ました。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/08/Jean-Auguste-Dominique_Ingres-627x1024.jpg)
88歳の生涯を閉じました。
アングルの画風・作風
彼の画風はどのようなものでしょうか。
彼の画風・作風は入念に構成された緊密な諧調、形態の幾何学的解釈などが挙げられます。
少し難しい言葉を使ったので、かみ砕いて紹介すると
アングルの画風・作風はしっかりと描いて彫刻のような(生きていないような)形を重視した画風・作風と言えます。
これは10代の時(11歳から17歳くらいまでの約6年間)の
先生である画家ジョゼフ・ロックの影響だと考えられます。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/zyozehuroku-826x1024.jpg)
他にもアングルは最後の仕上がりまでをしっかり考えたうえで描くタイプの画家でした。
そのため、油絵具で描くとどうしてもできてしまう凸凹(いわゆる筆ムラ)がほとんどなく、平坦なテクスチャをしています。
彼は新古典主義者の巨匠なのでと言いましたが、特にルネサンス期の芸術家ラファエロを崇拝していました。
彼の作品の中で『ラファエロとフォルナリーナ』という作品があることからも
ラファエロに対する敬愛を感じます。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/879px-Jean_auguste_dominique_ingres_raphael_and_the_fornarina-833x1024.jpg)
フォルナリーナというのはラファエロの恋人と噂された女性です。
右側の描きかけの絵はラファエロ作『ラ・フォルナリーナ』
だと考えられます。
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/843px-La_Fornarina_by_Raffaello-799x1024.jpg)
アングルの有名な作品
彼の作品のうち、特に有名な作品は『グランド・オダリスク』
『玉座のナポレオン』、『ド・ブロイ公爵夫人の肖像』などが挙げられます。
グランド・オダリスク
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/1280px-Jean_Auguste_Dominique_Ingres_005-1024x573.jpg)
グランド・オダリスクはアングルらしさがよく出ている作品です。
彼の現実を超越した形式美を表現しています。
丹念に描かれていますね。
この作品は後の時代の芸術作品に大きな影響を与えたと考えられています。
よく見るとなんだか変な感じがしますね。
この変な感じ、実はちゃんと理由があるんです。
この作品については別記事で解説しています。
玉座のナポレオン
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/657px-Ingres_Napoleon_on_his_Imperial_throne-623x1024.jpg)
これも彼らしさがよく出ている作品です。
戴冠式の衣装を着けたナポレオン一世を描いた肖像画であり、
細かいところまでよく描かれています。
構図も作品の題材にふさわしい構図をしています。
ド・ブロイ公爵夫人の肖像
![](https://0plusart.com/wp-content/uploads/2023/07/800px-Jean_auguste_dominique_ingres_princesse_albert_de_broglie-759x1024.jpg)
この作品は1853年にアングルが描いた肖像画です。
彼の陶器のような滑らかな肌表現と、
彫刻のような冷たく美しい顔はアングルらしさが出ている作品です。
サテンのドレスの光沢感や装飾品まで細かく描かれている様は圧巻です。
まとめ
ドミニク・アングルはドミニク・アングルは19世紀のフランスで活躍した画家です。
ロマン主義に対抗して新古典主義を牽引した新古典主義の巨匠です。
古典を再解釈して荘厳な美しさを追求しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ほかにもあなたの美術ライフが充実する記事を掲載しています。
良ければそちらもご覧ください。
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