カラヴァッジオ(カラバッジョ)と言う画家の生涯と代表作を紹介・解説

画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョをご存知でしょうか。

え?誰それという方この作品なら見たことはないでしょうか。

前に日本の展覧会で出たものです。

本物を見ましたが、凄まじい力を感じました。

作品を知っているけど彼のことはあまり知らない。

カラヴァッジョ(カラバッジョ)のことをもっと知りたい

他の作品は何があるの?

という疑問がわいてきませんか?

そこでこの記事では、

彼の人生や、代表的な作品、

そして彼のあるエピソードについて紹介・解説していこうと思います。

それではよろしくお願いします。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ

名前ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
誕生1571年9月29日
死亡1610年7月18日
代表作「果物籠を持つ少年」
「聖マタイの召命」
「ナルキッソス」ほか
活躍した時代・運動バロック

カラヴァッジョはイタリア美術の初期バロック期を代表する画家であり、

彼の作品は「カラヴァッジョスキ」

というカラヴァッジョを真似た絵画運動が起きたほどの革命をもたらしました。

彼の人生は力強く、また激しく、

その筆は描かれたものを不滅の存在にしました。

バロック芸術って何?

そんなカラヴァッジョですが、

彼が分類されるバロック芸術とはどんなものなのでしょうか。

バロック絵画の特徴は、大胆で劇的な構図、鮮やかな色彩、

そしてダイナミックな明暗対比です。

まるで劇場の照明を当てているようですね。

バロックとはポルトガル語のBarrocoから来ているという説があります。

このBaroccoですが

日本語でいうと「いびつな」真珠や宝石、岩や穴などを表しているとされています。

このバロックという言葉は美術評論家が後に付けたものであり、

他の美術運動と比べると

バロックは「やりすぎなくらいいびつな表現」という意味があります。

カラヴァッジョの生涯

誕生

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは、

1571年9月29日、イタリアのミラノに

三人兄弟の長男として生まれました。

父親は侯爵家の管理人と室内装飾を担当しており、

母親は地主の娘でした。

この当時ミラノではペストという病が流行っており

それが原因で荒れ果ててしまいます。

そこで一家は1576年ごろにカラヴァッジョ村へと移住します。

この時カラヴァッジョ5歳の時でした。

翌年1577年には父親が死亡、

1584年には母親が死亡します。

母親の死亡する前後(13歳前後のとき)には

画家シモーヌ・ペテルザーノのもとで見習いとして

4年間修行します。

その後もぶらぶらとミラノで生活しています。

ローマへの逃亡

1592年、役人との(おそらく)ケンカでミラノを飛び出し

ローマへ逃げていきます。

ローマに到着し数か月後、無一文の状態で

ジュゼッペ・チェーザリの工房で助手として働くようになります。

その時、果物や花などを描き、その技量が認められるようになります。

カラヴァッジョはいくつかの作品の注文を受け、

その中には、フランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿の

邸宅のために制作した「果物籠を持つ少年」

『果物籠を持つ少年』

という作品があります。

他にも『果物の皮をむく少年』などもあります。

『果物の皮をむく少年』

他にも『病めるバッカス』と呼ばれる作品も描きました。

この作品についてもまた別のエピソードがありますが、

別の記事で紹介します。

善友と悪友

1594年には画家の工房(アトリエ)を解雇され

人生の底辺に立たされます。

解雇された理由は病気になってしまったからだとされています。

そんな中、友人である芸術家オルシは

彼に仕事を仲介し何とか生計を立てました。

一方で悪友として建築家のロンギは

ローマの裏社会をカラヴァッジョに教えた人物とされています。

1954年~1596年頃制作「果物籠」

やがてカラヴァッジョはローマで最も人気のある画家のひとりとなり、

その劇的でバロック的な画風は

広く賞賛されるようになありました。

再び逃亡

カラヴァッジョは裏社会でもけんかっ早い

と言われるくらい短気な性格で

当時の警備記録や訴訟裁判記録に

何ページにもわたって記録が残っています。

このとき彼はある事件をきっかけに

ローマを逃げざるを得ない状況になります。

カラヴァッジョのエピソード

カラヴァッジョがローマから逃げたある事件とは

1606年5月29日にローマでテニスの試合をめぐる争いで

人を殺したという事件です。

この殺人の直後に逮捕状が出され、

彼はローマから逃亡します。

その後も何度も何度もけんかや破壊活動などで

様々な場所へ逃亡しますが、

彼の絵は逃げる先逃げる先で

高く評価され、名声を勝ちとります。

そのため、お金には困らない贅沢な旅行

になったと言います。

1610年の夏には、カラヴァッジョは死亡します。

死因は不明ですが、ナポリからローマへいく旅の途中で

熱病によって死亡したとされています。

カラヴァッジョの有名な絵画

そんな怒涛の人生を歩んだ

カラヴァッジョの代表作は数多くありますが、

その中で

「果物籠を持つ少年」

「聖マタイの召命」

「ナルキッソス」

を紹介します。

果物籠を持つ少年

この作品は1593年ごろに制作された油絵作品です。

彼の友人であるマリオ・ミンニーティ

をモデルにしたと考えられいます。

果物のみずみずしさや、枯れている葉、

果物籠の表現が秀逸です。

聖マタイの召命

『聖マタイの召命』は1599年から1600年にかけて描かれた作品です。

ローマの教会

(フランス人管轄教会サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会内

のコントレー聖堂)

に作品は置かれています。

美術史ではバロックへの扉を開いた

記念碑的な作品として取り上げられます。

この作品は

『聖マタイの殉教』や『聖マタイの霊感』

とセットで取り上げられる連作だとされています。

強いコントラストが魅力的です。

ナルキッソス

ナルキッソスは1597年ごろに制作された油絵です。

シンメトリーな構図が力強い印象の作品になっています。

これらの作品は、当時としては画期的なキアロスクーロや

テネブリズムという技法を用いているのが特徴です。

光と影を巧みに操り、

大胆な色使いと劇的な構図で描かれています。

まるでその場にいるようなリアルな表現も特徴的です。

カラヴァッジョの作品についてはたくさんありありますので

まとめて紹介していこうと思います。

まとめ

バロック初期に活躍したイタリア人画家として、

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの作品は、

イタリア美術史に欠かせないものとなっています。

特にキアロスクーロとテネブリズムの技法は、

17世紀の絵画に革命をもたらし、

今日の芸術家たちの強い影響を与えています。

彼は美術史において最も影響力のある画家の一人であり、

その作品は今日でも広く愛されています。

最後までご覧いただきありがとうございました。