『ランチは地獄の門の奥に』の元ネタ・モデルを解説。びじゅチューン!の作品紹介

みなさんこんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。

今回はびじゅチューン!『ランチは地獄の門の奥に』のモデル(元ネタ)を紹介したいと思います。

それではよろしくお願いします。

『ランチは地獄の門の奥に』のモデル

タイトル地獄の門
作者オギュースト・ロダン
制作年1917年
材料/技法ブロンズ
寸法高さ5.4m×横3.9m×奥行1m
所蔵国立西洋美術館

『ランチは地獄の門の奥に』の元ネタ・モデルは作者名作『地獄の門』です。

現在は国立西洋美術館に所蔵されています。

この国立西洋美術館の他にも

静岡県立美術館をはじめ世界に7つの地獄の門があります。

地獄への入り口多すぎです。

『地獄の門』って何?

『ランチは地獄の門の奥に』のモデル・元ネタである『地獄の門』は

ダンテ・アリギエーリという作家の『神曲』と呼ばれる詩の中の『地獄編』に登場する

地獄への入り口の門です。

サロンド・ボッティチェリ作「ダンテの肖像」

この門には文字が刻まれており

「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」

という名台詞が有名です。

下はその銘文(めいぶん)です。

我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり

義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり

永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ[

つまり門の自己紹介であり、私をくぐったら

深い絶望が待っているよ。

といっているわけですね。

どうして地獄の門をロダンは作ったのか。

ロダンは地獄の門を作ったきっかけは

1880年のある出来事でした。

その年、ロダンは新しくパリの装飾美術館のために、

入口の門を作ってくれと国から依頼されました。

ロダンは先ほど紹介したダンテの大ファンで、

ちょうど神曲からインスパイアされていた作品を作っていたので

それらもまとめて地獄の門として作り上げたというわけです。

実はあの人もこの門にいた!

実はこの地獄の門にはあの有名な人もいるんですね。

『ランチは地獄の門の奥に』でも登場しましたね。

上の画像をよく見てください。

実はロダンで有名な作品『考える人』もこの門の一部として登場しています。

地獄の門をよく見てみると、上に考える人がいます。

もともと「考える人」は考えているのではなくて、

地獄の門をくぐる人たちを見ているから、ああいう風に下を見ているんですね。

『ランチは地獄の門の奥に』の登場人物

腕時計

ちらちらと一瞬写る腕時計がありますが

あのデザインは『ランチは地獄の門の奥に』の他には

写楽式洗顔

でも登場しましたし、

『立体曼荼羅マスゲーム』にもあります。

是非探してみてくださいね。

右下の歌詞係

右下の歌詞係は『地獄の門』の作者「ロダン」であると考えられます。

トンカチひとつで歌詞を表示させる猛者です。

最後までご覧いただきありがとうございました。

他にも『びじゅチューン!』作品のモデル・元ネタをまとめて紹介しています。

そちらも是非ご覧ください。

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