こんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。
今回はびじゅチューン!「歩く泡」に出てくるあのモチーフのシロクマのモデル(元ネタ)について紹介していこうと思います。
あの元ネタは彫刻界において斬新な作品だということをご存知ですか?
それではよろしくお願いします。
「歩く泡」の元ネタ
歩く泡に出てきて一番特徴的なのはあの「白熊」ですね。
あの白熊は彫刻作品『白熊(シロクマ・しろくま)』から着想を得ています。
タイトル | 白熊(シロクマ・しろくま) |
作者 | フランソワ・ポンポン |
制作年 | 1923-33年 |
材料/技法 | 大理石 |
寸法 | 長さ2.5メートル、高さ1.6メートル |
所蔵 | オルセー美術館 |
白熊(シロクマ・しろくま)は群馬県立館林美術館にも所蔵されており、グッズ化もされている人気の作品です。
作者であるフランソワ・ポンポンはその彫刻の斬新さから革命的な彫刻と言われています。
どこが革命的なのか、彼の経歴と共に紹介していきましょう。
フランソワ・ポンポン
苦学生ポンポン
1855年、フランソワ・ポンポンはフランス・ブルゴーニュに生まれます。
彫刻家のキャリアの始まりは墓石屋の大理石職人でした。
ポンポンは仕事のかたわら美術の夜間学校に通い、彫刻の基礎を学びました。
苦悩の彫刻家生活
彼が21歳になると彫刻家を目指してパリに行きます。
そこで彼を待っていたのは政治的に混乱したパリと荒廃した建築の数々。
しかし、ポンポンはその復興工事として数々の装飾彫刻を手掛けて、生活が安定するようになりました。
1879年、ポンポンは展覧会に出したコゼット(レ・ミゼラブルの登場人物)が好評を得て、彫刻家としてデビューを果たします。
しかし、自分のスタイルを見失い、ポンポンは彫刻家として苦悩しました。
出会い
1890年代友人の彫刻家ピエール・ルイ・ルイヤールの動物の彫刻に興味を持ち始めました。
そしてエジプト美術や日本美術に出会ったポンポンは、そのシンプルで洗練され、かつ神聖さあふれるスタイルに感激し、彼のスタイルを持ち始めました。
スタイルの確立
彼は当時の主流であった見たままをリアルに彫刻するリアリズムから、単純な形で表現する試みをし始めました。
また、彫刻家ロダンの手伝いをしながら、少しずつ作品を制作していきました。
死と白熊
1917年、ロダンが死亡。そしてついに独立を果たします。
リュクサンブール美術館が彫刻作品『山鳩』を購入したことを皮切りに人気を集め、67歳にしてついに代表作『白熊』が発表されました。
彼の単純化、洗練、神聖さすらある彼のスタイルは彫刻の革命であり、モダニズムの頂点と言ってよいでしょう。
ポンポンの他の作品
「歩く泡」に出てくるものって『白熊』のほかにも出てきましたよね。
その中からモチーフとなった作品を紹介します。
大黒豹(オオクロヒョウ)
『黒豹』では、彼らしさが出ています。
普通このような翼のある動物を彫刻するときは、いかに細かく毛並みや筋肉のふくらみを表現するかが、彫刻家としての技量をある意味で見せつけるものですが
ポンポンは最小限の線で単純化しモダンに仕上げています。
オランウータン
『オランウータン』は「歩く泡」動画内でもかなりインパクトが強い作品でした。まさか顔だけでオランウータンを表現するとは、、、ポンポンの着眼点の面白さがあります。
ほろほろ鳥
オルセー美術館
オルセー美術館館内を映した動画もあるのでそちらもご覧ください。
まとめ
歩く泡に出てくるポンポンの作品『シロクマ』はモダニズムの頂点と言われたフランソワ・ポンポンの作品です。
この作品は今までのリアルに彫刻する常識を打ち破り、単純化、洗練された革命的な彫刻です。
彼の生涯を物語る作品ともいえるでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。
他にもびじゅチューン!に関する作品を紹介しています。
ぜひそちらもご一読ください。
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