こんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。
今回はびじゅチューン!「あしゅらコーラス」のモチーフ(元ネタ)である『阿修羅像』について紹介したいと思います。
今では放送禁止となってしまった伝説の曲ですが、元ネタをご存知ですか。
今回はモデルとなった作品を詳しく解説していきたいと思います。
それではよろしくお願いします。
あしゅらコーラスのモデル
あしゅらコーラスのモデルとなっているのは阿修羅(あしゅら)と呼ばれる仏の守護神です。
最も代表的な阿修羅作品として『興福寺阿修羅像』(こうふくじあしゅらぞう)があります。
タイトル | 興福寺阿修羅像 |
作者 | 仏師将軍万福(ぶっししょうぐんまんぷく)。 |
制作年 | 734年(奈良時代) |
材料/技法 | 脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり) |
寸法 | 約153cm |
所蔵 | 興福寺・国宝館 |
その美しい顔立ちから、仏界きってのイケメンとして有名ですよね。仏像ブームの火付け役となり今でも強い存在感を放っています。
そんな彼の風貌ですが、一体何の意味が込められているのでしょうか。それを知るにはまず、彼の生涯を知る必要があります。
阿修羅の生涯
古代メソポタミア文明の時代
阿修羅は元々古代メソポタミアでは最高神としてあがめられていました。
古代インドの時代
古代インドで彼は善神として生命を司る神であったとされています。
阿修羅の語源であるサンクリット語のasu(命)からもそのような神であったと言われています。
しかし、彼はだんだんと悪の戦闘神となってしまったのです。
娘と帝釈天
阿修羅には娘がいました。名前は舎脂(シャチー)。
ある時、帝釈天(たいしゃくてん、インドラ)が舎脂を手に入れようと奪ってしまい、それに怒った阿修羅は帝釈天と戦うことにしました。
しかし帝釈天は力を司る神様、いくら戦っても阿修羅は勝つことはできませんでした。
そうこうしているうちに舎脂は帝釈天のことが好きになってしまい、二人は結ばれていました。もう戦う意味はありません。
それでも納得しない阿修羅、彼はひたすら帝釈天に戦いを挑みます。
出会い
戦いに戦いを重ねる、そんなことを繰り返していました。
ついにはもともと住んでいた天界から追放されてしまいます。
ある時、釈迦に出会います。
彼は釈迦の説法に聞き惹かれ、自身のしていることは誤りだと考えたのです。
いくら正義のために始めた戦争でも、その目的を失い戦い続け、固執することは、善の心を失い悪となってしまうことに気づきました。
彼は今までしてきたことに後悔しました。
守護神として
彼は今までの罪の懺悔をするため仏教へ帰依し、釈迦を守るための守護神となりました。
このような経緯があり彼は仏教の中に取り込まれ、現在の姿となっています。(諸説ありますが、ここでは割愛させていただきます。)
阿修羅像の特徴
まず、阿修羅像の特徴である三面六臂は一人で何人分もの力を持っていることを示していると言われています。
【三面六臂/さんめんろっぴ】
3つの顔(面)と6つの肘・腕(臂)を持っていること
ではそれぞれにはどのような意味が込められているのでしょうか。
3つの顔
そのモデルは3つの顔は似ているようで実はそれぞれ違った表情をしています。
右の顔
右の顔は何やら反抗的な顔をしています。これは阿修羅の怒りや反抗を表現していると言われています。
また、少年期であると解釈されています。
彼の生涯にあった怒りや戦闘、帝釈天への恨みをこの顔で表現しているのではないでしょうか。
左の顔
左の顔は眉をひそめて何やら考えているようにも見えます。これは苦悩や苦しみを表現していると言われます。
また、思春期とも見てとれます。
彼の生涯にあった釈迦との出会いによる、自身の後悔の念を表現しているように見えます。
中央の顔
中央の顔は何も迷いがなくなり全てをまっすぐに見つめる凛々しい表情です。
青年期の表情とも解釈されています。
仏教に帰依し、守護神として自身の立場に誇りを持っているようにも見えます。
6本の腕
興福寺に収蔵されている阿修羅像は腕が華奢ですが、これにも理由があると言われています。
腕が細いことで、本来戦闘の神であった阿修羅は戦うことをやめ、決して争いをしないことを表現しているとされています。
ではそれぞれの腕はどのような意味があるのでしょうか。
合掌している2つの手
体の手前で合掌している手は仏を信じ、仏教に帰依していることを表現しています。
真ん中にある2つの手
中央に何とも言えない位置で浮遊しているような手には、宝弓と宝矢を持っていたのではないかと考えられています。
彼の戦闘の神であること、仏の守護神であることからそれが推察できます。
天高く上げている2つの手
これは左右に月と太陽を持ち、常に眠ることなく守り続けることを表現しているとされています。
また、日を隠していることから日食(日蝕)を、月を隠していることから月食(月蝕)を表現しているとも言われています。
このような風貌の阿修羅ですが、実は同僚がいるのをご存知でしたか?
阿修羅の同僚たち「八部衆」
阿修羅は仏教に帰依し、その時に階級が与えられました。
この階級は仏教とは別の宗教で偉い神様だった方々が入る階級です。
会社でいうところの転職組のようなものです。その転職組がさらに8つの部署に分けられます。それが八部衆(はちぶしゅう)と呼ばれています。
八部衆には一体どんな部署がいるのでしょうか。
五部浄(ごぶじょう)・天
ここには梵天や帝釈天がおり、八部衆でもっとも強い立場にある部署です。万物を司る部署です。
沙羯羅(さから)・龍
龍や竜王と呼ばれる種族が入ります。水中にある竜宮にすみ、雨をもたらすと言われています。
もともとは古代インドで悪い蛇神ナーガでしたが、釈迦が悟りを開くときに守護したとして、竜王として迎え入れられました。
鳩槃荼(くばんだ)・夜叉
死者の魂を吸うなどの悪鬼や鬼神が所属しています。それらが仏教に帰依したものです。
仏教に入ってからは夜叉とされていますが、古代インドの宗教では、「ヤクシャ・ヤクシニー」と呼ばれていました。
もちろん前述したような悪鬼・鬼神の面もありますが、逆に森の精霊や財産の神、豊穣の神であったとされています。
乾闥婆(けんだつば)
神のお酒(ソーマ)の番人。仏教では音楽を司る神様が所属しています。インドの神話では帝釈天に使える音楽団に相当しています。
インド神話ではガンダルヴァと呼ばれる半神半獣の音楽隊の人たちでした。
外見は頭に8本の角を持っており、赤い表皮にたくましい男性の上半身、黄金の鳥の翼を持った下半身であったとされています。
西洋(ギリシャ神話)でいうところのケンタウロスのようなものですね。
迦楼羅(かるら)
どう猛な鳥の神様などが所属していいます。
元ネタはインド神話のガルダ(ガルータ)とされています。
特徴としては、人間の胴体に鷲の頭、クチバシ、翼、爪を持ちます。インドの邪神のヘビを食べることから、それらを退治する聖なる鳥としてあがめられています。
沙羯羅(さから)・龍の仲間を元々は食べていたということですね。
緊那羅(きんなら)
帝釈天に仕え音楽を司り、半神半獣が所属しています。乾闥婆(けんだつば)と同様に帝釈天の部下です。
興福寺に収蔵されている像は一本の角と、三つ目の姿をしています。
畢婆迦羅(ひばから)・摩睺羅伽(まごらか)
緊那羅と同様に帝釈天に仕える音楽の神、体は人間だが、頭が蛇の半神半獣です。蛇(ニシキヘビ)を神格化したものが所属します。
まとめ
阿修羅は元々別の宗教の神様を仏教に取り入れた結果今の姿となっています。それぞれの造詣にはそれぞれの意味があり、それらを見る人が感じ取れるように工夫されていることが分かります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
またほかにもびじゅチューン!に関する記事を投稿していますので、お時間ありましたらご一読ください。
コメントを残す