猫の絵で有名な日本人の画家5人をわかりやすく紹介。

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岩下幸円(イワシタコウエン)
愛知県在住の芸術家。 独学で絵を学びたい人に役に立つ情報をシェアしています。 色彩検定2級を取得。 小学校教諭一種免許を取得。 寝ている生物(特に猫)が好きです。

猫の絵で有名な日本人は数多くいますがその中でもこれだけは押さえておきたい、画家を紹介します。

猫の絵で有名な日本人画家:竹内栖鳳(たけうちせいほう)

竹内栖鳳(たけうちせいほう)は戦前の日本を代表する日本人画家です。

1864年に彼は京都の料理屋の一人息子として誕生します。

13歳のころに四条派の土田英林に絵を習い始めるが、

17歳の時に四条派の名画家である幸野 楳嶺(こうの ばいれい)の私塾で習い始めます。

その中でメキメキと頭角を現していき、18歳ごろにはその私塾のリーダーのうちの一人となります。

そして楳嶺四天王の筆頭と呼ばれるようになりました。

才能あふれる青年だったんですね。

猫の絵①『班猫(はんびょう)』

1924年ごろに一匹目の猫の絵である『班猫(はんびょう)』を描きます。

この猫のエピソードについては別記事で詳しく解説しています。

猫の絵はまるで生きているかのような存在感のある絵です。

猫の絵②『小春』

引用元:海の見える杜美術館

その三年後である1927年には二匹目の猫の絵である『小春』を描きます。

『班猫』とは柄の違うブチ猫の絵が描かれていますね、

後ろの籠から、もしかしたらカゴの所有者の飼い猫なのかもしれませんね。

猫の絵で有名な日本人画家:菱田春草(ひしだしゅんそう)

菱田春草は1874年旧飯田藩士(大名の家臣)の菱田鉛治の三男として生まれました。

16歳のころには東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学します。

21歳で卒業すると、東京美術学校の教師となります。

その時は、日本画改革期で、学校長であった岡倉天心(おかくらてんしん)は日本画をどんどんと改革していこうという考え方でしたが

学校内で賛成派と反対派でもめ岡倉天心は学校長を辞任します。

菱田春草も岡倉天心とともに学校を去り、日本美術院(現在の院展を主宰する団体)を創設します。

その後、インドやアメリカ、ヨーロッパなどを経て、日本へ帰国します。

日本では海外で学んだことを活かして制作に励みますが、

37歳の若さで亡くなります。

その短い生涯の中で描かれた彼の猫の絵の作品を見てみましょう。

猫の絵①『黒き猫』

『黒き猫』は1910年に描かれた作品です。

猫の毛並みが絶妙なふわふわ感があります。

どこか可愛くてユーモラスな雰囲気がありますね。

『黒き猫』の詳しい解説については下の記事で紹介しています。

他にも似たような構図で猫の絵画を描いています。

猫の絵②『猫に烏』

菱田春草の猫の絵の作品の中でも異彩を放っているのは『猫に烏』です。

この作品は『黒き猫』と同年に描かれた、春草最後の猫の絵画作品です。

金箔の下地に、白猫が描かれ屏風として仕立てられました。

左側にはカラスが柿と共に描かれています。

白猫は一体何を思っているのでしょうか。

猫の絵で有名な日本人画家:歌川国芳(うたがわくによし)

歌川国芳(うたがわくによし)は江戸時代末期を代表する浮世絵師です。

斬新で奇想天外なアイディア、デッサン力を持っています。

彼も猫の絵画作品をたくさん残しており、その中でも代表的な作品を紹介します。

猫の絵①『猫のけいこ』

『猫のけいこ』では猫が人間のモノマネをしています。

三味線をしている猫たちの姿が愛らしいですね。

ちなみにこの作品は団扇のデザインとして描かれています。

猫の絵②『猫の当字 なまず』

猫の絵③『其のまま地口 猫飼好五十三疋(そのまま-ぢぐち・みやうかいこう-ごじうさんひき)』

『其のまま地口 猫飼好五十三疋(そのまま-ぢぐち・みやうかいこう-ごじうさんひき)』は、東海道五十三次と呼ばれる宿の名前を猫で表した作品です。

全部で55匹の猫が絵が描かれており、国芳の猫愛が伝わってきます。

ちなみに私は程ヶ谷の宿名をもじった「のごかい」が好きです。

ちらっと見えている猫ふぐりがかわいらしいです。

55匹の猫たちから皆さんも推し猫の絵を探してみてください。

猫の絵で有名な日本人画家:河鍋暁斎(かわなべきょうさい)

河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。

1837年に先ほど紹介した歌川国芳に弟子入りします。

国芳は人の様々な姿を描くことを教え、若き日の暁斎は長屋を徘徊して、喧嘩している人を探したと言います。

また、神田川で拾った生首を描いて、周りを驚かせたという「生首の写生」伝説を残たり、

自身が住み込んでいた屋敷が火事で燃えたときには、その火を描いたと言われています。

その他にも遊郭で珍しい帯の写生(絵を描くこと)をするために女中の尻を追っていたところ、誤解され、家から離縁されるなど数多くの伝説を残しています。

そして、ありとあらゆる絵の流派、画法を貪欲に取り入れて、自身を「画鬼」と名乗りました。

絵の才能と、絵への貪欲さのある彼の猫の絵を見てみましょう。

猫の絵『猫又』

この先品は下絵として描かれたものですが、その中に猫が描かれています。

猫のしっぽが二つに分かれているので、いわゆる猫又と呼ばれる溶解です。

目つきが鋭く、リアルでありながらどこか妖怪の雰囲気が出ています。

猫の絵『化け猫』

コチラは草原から出てくる猫を描いています。

左下にびっくりしている人々がいます。

猫の高さは3メートルを超えるくらいの大きさでしょうか。

どこか怪しくもユーモアがある猫の絵です。

人のリアクションが、芸人さながらです。

猫の絵で有名な日本人画家5人目:小林古径(こばやしこけい)

小林古径(こばやしこけい)は大正から昭和にかけての日本の画家です。

1883年に新潟県に生まれますが、家族がすぐになくなってしまいます。

1899年に上京して、梶田半古に日本画を学びます。そこで「古径」という雅号(ペンネームのようなもの)を授かります。

彼の特色は何といっても、線の技術力。

「蚕の吐く糸のような」線の美しさと言われており、

代表作『髪』ではその線描の美しさが発揮されています。

そんな彼も猫を描いています。

猫の絵『猫』

小林古径の猫はいたってシンプルな表現です。

しかしその究極まで猫の形を削り、線描による美しさが際立ちます。

シンプルですが、とても品がよく、神々しさすらあります。

そして忘れてならないのは大橋翠石。

彼の描く猫も素晴らしいです。

日本人の猫の絵を見たけれど・・・

猫の絵で有名な日本人画家の猫の絵はいかがでしたか。

同じ日本人でも、人によって全く異なる絵を描いているので、楽しめたと思います。

個人的に猫の絵を描いている身としては、

下の記事で紹介している「猫のアダム」と呼ばれた猫がとてもかわいいので個人的に推しています。

良ければこちらの猫を見てくださいね!

最後までご覧いただきありがとうございました。