有名な画家サンドロ・ボッティチェリの生涯と代表作の解説と紹介

サンドロ・ボッティチェリをご存知でしょうか。

この作品が有名な画家です。

だけど彼の生涯や有名な作品は一体どんなものがあるのでしょうか。

そこでこの記事では、

サンドロ・ボッティチェリの生涯と、

彼を有名にした作品について説明します。

サンドロ・ボッティチェリ

名前サンドロ・ボッティチェリ
誕生1445年頃
死亡1510年5月17日
芸術活動ルネサンス
国籍イタリア
影響を受けた芸術家フィリッポ・リッピ、アンドレア・デル・ヴェロッキオ

サンドロ・ボッティチェリ

(本名:アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペピ)は、

ルネサンス初期にイタリアのフィレンツェで生まれた画家です。

この時代、ボッティチェリは生涯のうちに様々な絵を描き、

ルネサンス期の芸術の発展に重要な作品を発表しました。

サンドロ・ボッティチェリの生涯

誕生

サンドロ・ボッティチェリは、1445年にイタリアのフィレンツェで生まれました。

皮をなめす職人である父マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペピと

母の間に4人兄弟の末っ子として生まれました。

修業時代

17歳になったとき、有名な画家フィリッポ・リッピに

弟子入りすることになります。

修業時代ではフィリッポ・リッピの影響を大きく受けており

この時代に描かれたボッティチェリ作『聖母子と天使』は、

一時的にフィリッポリッピの作品とされていました。

(その後、ボッティチェリ作として支持されています。)

それくらい似ていたんですね。

師匠の死と独立

1470年10月9日に師匠フィリッポ・リッピが亡くなると、

ボッティチェリは家を持ち、工房から独立をしました。

1472年には聖ルカ組合という画家の職業組合に登録され

晴れて一人前の芸術家として認められます。

その後はたくさんの絵画を描いていきます。

例えば1480年にはヴァチカンに招待され

システィーナ礼拝堂の壁画の一部を制作します。

システィーナ礼拝堂の内装は当時を代表する芸術家である

ボッティチェリの他にも、ミケランジェロ、ペルジーノ、ピントゥリッキオ

など名だたる画家たちと共同制作したものでした。

彼の描いた壁画は『反逆者たちの懲罰』

や『モーセの試練』

『キリストの誘惑』

などを描きました。

初期ルネサンス期のフィレンツェ派とは?

ボッティチェリが所属した初期ルネサンス期のフィレンツェ派は、

イタリア初期ルネサンス期にフィレンツェに渡った有力な芸術家たちの集まりである。

彼らは、ビザンチン芸術の古典主義、神秘主義、遠近法に強く影響を受けた

絵画や彫刻、建築の伝統を作り上げました。

フィレンツェ派は、

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリといった

「フィレンツェ派の三巨頭」と呼ばれる偉大な芸術家たちの作品によって人気を博すようになった。

この運動の結果、フィレンツェはルネサンス全体の絵画の工房とみなされ、

その作品はヨーロッパをはじめ世界各地に大きな影響を及ぼしました。

サンドロ・ボッティチェッリの代表作品

ボッティチェリは、神話を題材にした絵画で知られ、その作品は、

当時の他の画家とは一線を画す個性的なものであった。

ボッティチェリの代表作には、「ヴィーナスの誕生」、「プリマヴェーラ」、「東方三博士の礼拝」などがあります。

ヴィーナスの誕生

ヴィーナスの誕生は1485年に描かれたものです。

美の女神であるヴィーナスが誕生した瞬間を描いたものです。

プリマヴェーラ(春)

プリマヴェーラ(春)は木の板にテンペラで描かれた作品です。

この作品は春に急成長する世界のアレゴリーであるとされています。

【アレゴリー】

アレゴリーは目には見えないものを見える形に置き換える方法のこと。

東方三博士の礼拝

1476年に描かれた『東方三博士の礼拝』は

キリスト教の祖、イエスキリストの誕生を聞いた

三人の博士たちが見に来たという場面を描いています。

まとめ

サンドロ・ボッティチェリは、フィレンツェ出身のルネサンス期の偉大な画家であり、

ヨーロッパ全域の芸術界に大きな影響を与えた人物です。

ボッティチェリは、「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ」

「東方三博士の礼拝」「アペレスの悪口」などの有名な作品を制作し、

今日でもルネサンス芸術界の巨匠の一人として記憶されています。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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