『アイネクライネ唐獅子ムジーク』の元ネタ・モデルを解説。びじゅチューン!の作品紹介

みなさんこんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。

今回はびじゅチューン!『アイネクライネ唐獅子ムジーク』のモデル(元ネタ)を紹介したいと思います。

それではよろしくお願いします。

『アイネクライネ唐獅子ムジーク』のモデル

タイトル唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)
作者狩野永徳、狩野常信
制作年桃山時代~江戸時代
材料/技法紙本金地着色
寸法右隻:223.6×451.8cm 左隻:224.0×453.5cm
所蔵宮内庁、三の丸尚蔵館

『アイネクライネ唐獅子ムジーク』の元ネタ・モデルは

狩野派のふたり

狩野永徳(かのうえいとく)と

狩野常信(かのうつねのぶ)が制作した

『唐獅子図屛風』です。

現在は日本の宮内庁、三の丸尚蔵館が所蔵しています。

つまり天皇陛下に献上された作品ですね。

日本の国宝・重要文化財に指定されています。

この作品は

6枚のパネルを1つにつなげ(六曲一双)た屏風で、

紙に金を塗った下地(紙本金地)に

唐獅子(今でいうライオン)が二頭描かれています。

狩野派って何?

『唐獅子図屏風』のふたりの作者は

狩野派(かのうは)と呼ばれる集団に所属しています。

狩野派とは

室町時代(15世紀)から江戸時代の末(19世紀)

までの400年間続いた

日本絵画史で最大の画家職人集団です。

この狩野派はその時代の権力者と深く結びついており

室町幕府に仕えることから始まり、

織田信長、

豊臣秀吉、

徳川家康と

名だたる権力者とつながっています。

狩野派なくして

日本の絵画史は語れないくらい

すごい派閥と言えます。

『唐獅子図屛風』は元々右側だけだった

『アイネクライネ唐獅子ムジーク』のモデル・元ネタである

『唐獅子図屛風』はもともと右側だけの作品でした。

狩野永徳が描いたとされる右隻、右下には狩野探幽(たんゆう)の書がある。

この右側(右隻)は16世紀の桃山時代に狩野永徳が描きました。

100年後、江戸時代になると、右隻の画風に合わせて

狩野常信が左側(左隻)を描きました。

狩野常信が描いたとされる左隻

つまり100年の時を経て

今の形の作品が完成したと言えます。

びじゅチューン!『アイネクライネ唐獅子ムジーク』の登場人物

アイネクライネ唐獅子ムジークの登場人物は

唐獅子でした。

唐獅子は

指揮者が手』や『特急三日月宗近』でピアノを演奏していましたね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

他にも『びじゅチューン!』作品のモデル・元ネタをまとめて紹介しています。

そちらも是非ご覧ください。

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