びじゅチューン!『続いては、信貴山の石橋さ〜ん』の元ネタを解説

この作品に一体どんな物語があるのでしょうか。

みなさんこんにちは、岩下 幸圓(イワシタ コウエン)です。今回はびじゅチューン!『続いては、信貴山(しぎさん)の石橋さ〜ん』のモデル『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』を紹介したいと思います。

作品に描かれているモチーフやその物語を詳しく紹介していこうと思います。

それではよろしくお願いします。

『信貴山縁起絵巻』の概要

『信貴山縁起絵巻』は平安時代末期の絵巻物です。

1951年、日本の国宝に指定されました。

実は全三巻ある作品をまとめたものです。それぞれ

  • 山崎長者の巻(飛倉の巻)
  • 延喜加持の巻
  • 尼公(あまぎみ)の巻

があります。これらで一つの物語を形成しています。鉢が荒ぶるその物語を見ていきましょう。

『信貴山縁起絵巻』の物語

辞書

山崎長者の巻(飛倉の巻)

あるとき信濃国の法師「命蓮」がいた。彼はまだ戒律を授かっていなかったので、奈良の東大寺へ受戒することにした。

法師は

なんか、田舎へ帰るよりもここらへんで修行できる場所はないかなあ

と思い、奈良のあちこちを見渡していた。

すると未申(南西)の方角に山(信貴山)があった。

よし、あの山のあたりで住もう!

そう思うと彼はそちらの山のほうへ行った。

山では言葉では表せないような過酷な修行に励み、毘沙門天を祀ったお堂を立てた。

法師は山から下りることはせず、代わりに、法力で鉢を山の麓の長者の家へ飛ばして、その鉢に食べ物などを乗せてもらっていた。

私が法師の代わりに食べ物を貰ってきますね!

一方麓の長者は、毎回蔵から何かものを取り出そうとするときに飛んでくる鉢に嫌気がさしていた。

ある時、いつものように食べ物を貰おうと鉢が物乞いに来た。

しかし長者は

気持ちの悪い強欲な鉢だ。

と言って、鉢を蔵の隅に放置し、そのまま忘れてしまった。

ある時、蔵がゆらゆらと揺れ始めて地面から一尺(約30センチ)ほど浮いていた。

なんだあれ、どうしたんだよ

と民衆が騒いでいると、倉の扉が開き鉢が飛び出した。

山崎長者の巻(飛倉の巻):蔵を持っていく鉢と民衆
蔵と共に飛んで行く鉢の画像
蔵と共に飛んで行く鉢

鉢はそのまま蔵ごと米を持って行き山の彼方へと飛んで行ってしまった。

長者はどうすることもできないので、とにかく鉢の飛んでいったほうへ行くと山の中にいた法師のそばで落ちていた。

長者は

かくかくしかじかで、蔵ごと米がそちらへ飛んでいきました。どうにか蔵とお米を返してください

それは不思議なことですね。しかし、蔵は返すことはできないが、米ならすぐ返すことができますよ。

と法師は言った。

しかし、すぐ返せるって言っても、、、米は千石(約150トン)も積んであるんですよ?

それなら簡単です。まずは米一俵、鉢の上に乗せなさい

と言われ、長者はそれに従う。

指示をする法師とそれに従う長者

延喜加持の巻

すると米はまるで雁のように群れをなして飛んで行った。あきれ果てることに加えて尊い風景であった。

米が屋敷のほうへと戻っていきました。家人もびっくりしています。

法師はそれからも修行に励んでいた。

ある時、醍醐天皇が重い病に陥り、様々な祈祷や読経などを試していたが、一向に回復するきざしはなかった。

ある人が

そういえば、信貴山のところにすごい法師がいると聞きました。彼は尊敬できますし、経験も豊富、その上鉢を飛ばすこともできるらしいです。その人なら天皇の病気を治せると思いますよ。

と言った。そのことを聞いた天皇は使者を法師の元へと向かわせた。

信貴山に到着した使者は

…と言うわけで法師さん、早速ですが天皇の元へ行って直してくれませんか。

わざわざ行かなくても、ここで祈祷すれば治せますよ。

しかし、天皇の病気を治されたのが法師様であることを知ることができません。どのように知ればよいのですか。

とかたくなに法師を天皇の元へ行かせたい使者。法師は

なら祈祷の際に剣の護法(法を守る鬼神)を参上させましょう。夢でも幻でも剣を持ち服を着た護法が現れれば、それは私の祈祷だとわかるでしょう。

と言った。使者は帰り、事情を天皇へお話になった。

その三日後の昼、まどろみのなかの夢うつつ、天皇は何やら光るものが見えた。

なんでしょうか、あの光は

と目を凝らしてみると、なんと法師の言った通り、剣の護法が現れた。

延喜加持の巻:剣の護法が向かっている場面

それから天皇の体調はだんだんとよくなり、ついに病気が治った。

人々は法師はすごいすごいと喜んだ。

天皇は使者を介して

お礼の印として僧正(僧侶の最上の位)か僧都(僧正の次の位)、それかお寺に荘園(私有地)を渡したい。

とおっしゃったが、法師は

私は僧正や僧都などの地位にはさらさら興味がありません。それにこのような場所に荘園を置くと色々と揉めて煩わしいくなる上、罪を作ってしまうかもしれません。

と言い、法師は何も貰わなかった。

尼公(あまぎみ)の巻

法師には姉がいた。姉は

弟が奈良の受戒してから全然音沙汰がないじゃない。これだけ長い年月連絡がないのは、もしかしたら何かあったのかしら。

と心配していた。

気になるから会いに行きましょう

と上京した。

姉は東大寺、山階寺のあたりで

命蓮小院(法師の本名)という人はいませんか

と聞いて歩いたが、知らぬ存ぜぬばかりで、姉は困った。

最後に東大寺の大仏のところへ向かい

尼公(あまぎみ)の巻:お願いをする姉と、奈良の大仏

命蓮小院のいる場所を教えてください

と願った。その日の夜夢の中で

その僧の居場所だが未申の方角に山(信貴山)がある。そこの雲がたなびく場所へ行きなさい。

と仏様がおっしゃった。

言われた通り姉はそのほうへ行くと山に紫の雲がたなびいていた。そこにはお堂もあり、弟がいた。

姉と法師の再会

弟にあった姉は、今までの道中のなかなか見つからなかったことや、夢で仏様が場所を教えてくれたことなど様々な話をした。

それにしても寒かったでしょう。これを着せてあげましょう。

姉はそういうとふくたいという、太い糸を用い、綿を厚くし、きめ細かく頑丈に作った着物を持ってきた。

法師は今まで薄い絹の着物だけを着てとてつもなく寒かったので、喜んでこれを着た。

それから姉は故郷へ帰ることはせず、法師と一緒に修行に励んだ。

長い年月このふくたいのみを着ていたのでボロボロになってしまったが、それでもずっと着ていた。

まとめ

『続いては、信貴山の石橋さ〜ん』のモデル『信貴山縁起絵巻』は全三巻からなるものです。それぞれには物語があり

山崎長者の巻(飛倉の巻)では、『続いては、信貴山の石橋さ〜ん』で使用された飛ぶ鉢の話

延喜加持の巻では、醍醐天皇の病気を治す話

尼公の巻では姉との話

がそれぞれ綴られていました。ちなみに信貴山は現実に存在しており、朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)として命蓮上人を祀っています。

朝護孫子寺

この物語のほかに、名前の由来である「信貴」山についての記載もあり、大変興味深かったです。聖徳太子がここに来るとは思ってもみませんでした。詳しくは公式ホームページにあります。

公式ホームページはこちらです。→信貴山 朝護孫子寺 公式ホームページ

最後までご覧いただきありがとうございました。

ほかにもびじゅチューン!に関する記事を掲載していますのでぜひそちらもご覧ください。

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