『テュルプ博士の参観日』の元ネタ・モデルを解説

今回はびじゅチューン!『テュルプ博士の参観日』のモデル(元ネタ)を紹介したいと思います。

それではよろしくお願いします。

『テュルプ博士の参観日』の元ネタ・モデルの正体

タイトルテュルプ博士の解剖学教室(講義)
作者レンブラント・ファン・レイン
制作年1632年
材料/技法カンバスに油彩
寸法216.5 cm × 169.5 cm 
所蔵マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ

『テュルプ博士の参観日』のモデルはレンブラント作「テュルプ博士の解剖学教室(講義)」です。

レンブラントが26歳の時に依頼されて描いたものです。26歳にしてこの描写力はすごいですね。

現在はオランダのマウリッツハイツ美術館に収蔵されています。

では「テュルプ博士の解剖学講義」を解剖してみましょう。

解剖『テュルプ博士の解剖学講義』

この作品のカテゴリー

この作品のカテゴリーは「集団肖像画」と言われるものです。

集団肖像画とは、画家が依頼されたグループの人たちを一緒に描いた肖像画のことで

レンブラントは『テュルプ博士の解剖学講義』のほか、『夜警』や『織物商組合の幹部たち』などの集団肖像画も描きました。

レンブラント作『夜警』
レンブラント作『織物商組合の幹部たち』

作品に描かれているもの

作品に描かれているものを大きく分けるとこのように分けることができます。

  1. テュルプ博士
  2. 7人の観客
  3. 遺体
  4. 解剖学書
  5. サイン

テュルプ博士

作品に描かれている主人公にみえるのはテュルプ博士です。

彼は当時の科学者でとても高い地位にいました。

7人の観客

当時、解剖学は社交イベントとして年に一回行われていました。

解剖をするための専用の施設(解剖劇場)が設置され、そのイベントの料金を払い市民や学生、同僚の博士が参加しました。

厳粛な社交イベントのため観客は社交の場にふさわしい格好をしています。

『テュルプ博士の参観日』もある意味社交イベントですね。

絵に描かれている観客の一部は絵にかいてもらうためにお金を払った医者です。

遺体

遺体は犯罪人が使われており、この遺体も犯罪者でした。

遺体は矢作り職人アーリス・キント。

彼は凶器強盗罪でその日の午前に絞首刑で処刑されました。

遺体の顔には黒い影が差しています。

これはレンブラントが用いた技術で「死の影」と呼ばれるものです。

解剖学書

解剖学書はアンドレアス・ヴェサリウス著『ファブリカ』こと『人体構造論』だと考えられています。

テュルプ博士は高い地位のため、解剖をすることはしませんでした。

その代わりにこの本を置くことで解剖学の場面であることを表現したと考えられています。

サイン

レンブラントのサインが隠し要素のようにあります。

よく見てみると「Rembrandt・f:1632」と書かれています。

これより以前の作品にはイニシャルだけ書かれたものばかりでした。

この作品にフルネームを書くことは、画家としての評価や自信が高まったのではないかと想像することができます。

まとめ

『テュルプ博士の参観日』の元ネタ・モデルはレンブラントが描いた油絵『テュルプ博士の解剖講義』です。

この作品は集団肖像画であり、博士とその仲間たちが描かれています。

レンブラントは、この作品から画家としての評価や自信がついたことがうかがえます。

『テュルプ博士の参観日』の登場人物・小ネタ

登場人物

眼鏡とおだんごの先生

眼鏡とおだんごのヘアーをした先生です。

ボッティチェリ高校では教壇にたっていましたので、高校教師であることが考えられます。

『テュルプ博士の参観日』のほか、『転校しないで五弦琵琶』や『縄文土器先生』でも登場しましたね。

右下の人

右下の歌詞をくるくるしていた人は作者であるレンブラントです。

レンブラントは数多くの自画像を残していました。

モデルになったのは1630年のエッチングの作品ではないかと推測されます。

1630年のレンブラントの自画像

『テュルプ博士の解剖講義』が1632年に制作されたので、それに近い自画像を選んだのでしょう。

井上涼さんのこだわりが感じられます。

小ネタ

小学校の名前

小学校の名前は「栄光レンブラント小学校」でした。

高校ではヴィーナス委員長が在籍する「ボッティチェリ高校」がありますね。

もしかしたら今後中学校が登場するかもしれませんね。

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